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網走ロータリークラブの歴史

網走ロータリークラブが創立されたのは昭和28年(1953)で、道内では9番目の誕生である。

既設の8クラブは、いずれも戦前に創立されたものであるが、戦争下の昭和15年、国際ロータリーから離脱、戦後に復帰したものである。その意味で、網走クラブは、戦後新設の第1号といえる。

 国際ロータリーの創立は1905年(明治38)で、それが日本に拡大されたのは、1920年(大正9)の東京ロータリークラブが最初であり、北海道では1932年(昭和7)の札幌に始まり、昭和8年小樽、9年旭川、函館、10年帯広、11年室蘭、釧路、12年野付牛の順で主要都市8クラブが誕生した。しかし、昭和15年秋、日本のロータリーは遂に国際ロータリーから脱退の止むなきにたちいたったのであるが、終戦後の国際情勢の変化にともない復帰への努力が根強く続けられた結果、昭和24年(1949)にいたって復帰加盟が承認され日本ロータリーの再建が始まったのである。

 道内RC設立状況                

クラブ名

創立

復帰

札幌

小樽

函館

旭川

釧路

室蘭

帯広

北見

昭 7.11

8.10

9.10

9.10

11.12

11.12

10. 3

12.10

昭 24. 5

24. 9

24. 9

25. 3

25.10

25.12

25.12

27. 9

 

かくて、復帰第1年度末(昭和25年6月)には7クラブ、455名にすぎなかったものが、2年後には75クラブ、2,947名に発展、それまで全国1区制であつたものを27年7月から第60区、第61区の東西2区に分割、躍進段階に入ったのである。この間における道内設立状況は別表のとおりで、北海道は60地区に属した。

 

 設立準備 網走ロータリークラブを設立しようとする動きは、このような情勢下にはじまった。昭和28年4月、国際青年会議所アジア大会がフイリピンのマニラで開かれた。網走からは、青年会議所理事長田辺正英、同特別会員山田道雄の両君が出席した。両君は会議終了後、東南アジアからヨーロッパ諸国を歴訪したが、この視察旅行中にロータリー活動の実際を見聞、これを是非網走にも設立したいと考え、5月末帰国すると同時に活動を開始したのである。

 ロータリーの趣旨をPRするとともに、会員の選考を進め、数次にわたって準備打合会を開き、さらにこれを創立発起人会に発展させ、9月には次のような趣意書を発表、10月発会をめざして努力が続けられた。

 

 

設立趣意書

 ロータリーとは、一つの世界的友好団体であって、実業界並びに社会生活に於ける成功と幸福との基礎をなすものは「奉仕の理想」であるということを認める実業家及専門家が、その会員となっているものであります。

ロータリーに於いては、他人に対する思いやりが奉仕の基礎をなし、他人を助けることがその表現であるとされ、この両者が相伴ってロータリーの「奉仕の理想」が形成されるのであります。

 1905年の創立でありますから比較的新しい団体ですが、このロータリーが世間に広く共鳴を得る所以のものは、各人がその友好関係を広め、社会改善の事業に参加し、実業界並びに専門的職業生活の水準を高め、かつ、国際間の理解・親善・平和を促進する実際的手段を自ら進んで提供しようという点にあると思います。

 ロータリーは、その「奉仕の理想」を人類全体に及ぼすため、すべての人々をお互いに離反せしめるようなものはこれを避けて、遂に人々を結びつけるものを求めているのであります。

 ロータリーは、秘密団体ではありません。また、決して宗教団体や政治団体のあるものに取って代わったり、あるいはこれに干渉しようというものでもありません。ロータリーの奉仕の綱領は、すべての宗教と矛盾せず、また、会員の政治上の立場には無関係なのであります。従って、ロータリーは、各会員が各自の宗教に忠実であり、また、各自の属する国家に忠誠を尽くすことを期待しているわけであります。

 かようなわけで、ロータリーは創立以来48年という短日月の間に、ロータリーの友情・協力及他人への奉仕という精神は6つの大陸に及んでおり、事実上あらゆる国籍、あらゆる宗教、政治思想の人々、すなわち87に及国家あるいは地域に亘り、また、37万をこえる実業家・専門家によって受入られているのであります。

 わが国においては、大正9年、東京にロータリーが出来たのが最初でありますが、その後、6大都市をはじめ各主要都市に次ぎ次ぎと結成せられ、本道に於いても、札幌を皮切りに小樽・函館・旭川・釧路・室蘭・帯広・および北見など、いわゆる先進都市においては既にロータリーの設立を見ているのであります。したがって、今後、東北海度に大いに飛躍し、大網走を形成しようとする当市においても、この種の国際的友好団体が誕生しても決して時機尚早ではないと思うのであります。

 こんな観点から、遅まきながら私ども有志が相はかり、当市にもロータリーの創設を目論見たしだいでありますが、このためには、もとよりひとり私ども微力のよくするところではなく、もちろん、各位のご理解あるご支援に俟たねばならぬことは申すまでもありません。

 つきましては、スポンサークラブの釧路からの切なご奨慂もあり、早急ご協議のうえ、ロータリーの結成を進めたいと考えておりますので、ご多用中はなはだ恐縮ながら下記ご了承のうえ、網走商工会議所までご来集、何分のご協力を賜るよう致したく、此の段ご案内申上げます。

昭和28年9月

網走ロータリークラブ創立発起人(イロハ順)

林  幸夫    山田 道雄

岡田 由太郎    遠藤 熊吉

田辺 正英    阿川 二郎

田辺 林蔵    塩森 哲雄

 

 

 

1.ロータリークラブ会員(ロータリアン)の資格

 ロータリークラブをして、所在都市の利害と活動との真の横断面たらしめるために、その会員は、定評ある事業ないし専門的職業から、それぞれ1人が選ばれるのが原則です。

 会員の一人一人が各自の事業の代表者と見なされるだけでなく、その業界全体の代表者と見なされるわけであります。(クラブ会員は、事業または専門的職業における各職業分類から各々1名ずつ出るということが原則です。)

2.ロータリアンの特典

  ⅰ)ロータリーの徽章を佩用すること。

  ⅱ)自己のクラブの集会に出席するほか他の全ロータリークラブの例会に出席できること。

  ⅲ)自己のクラブの活動および事業に参加すること。

  ⅳ)自己のクラブ会員との間に友情を温め、親交を結ぶほか、地区大会、都市連合会、国際大会等に出席することによって、限りない範囲に交際を拡めることができます。

3.ロータリアンの義務

   ロータリアンになると、次のような義務が生じます。

  ⅰ)ロータリアンの水準に達するようにすること。

  ⅱ)求められた時には何時でも奉仕すること。

  ⅲ)クラブの会合に出席すること。

  (毎週1回例会を開きます。その例会に引続き4回欠席すると、自動的に失格することになります。また、半期(6ヶ月)の出席率が60%に達しない時も失格するのです。)

  ⅳ)クラブに対する金銭上の義務を迅速に果たすこと。

    入会金  3,600円   (入会承認に先立ち納入)

    会費   15,000円   (7月1日と1月1日に半年分ずつ納入)

 

網走ロータリークラブ発会式  

(昭和28年11月10日)

網走ロータリークラブ晴の発会式は、昭和28年11月10日(火)12時30分から、網走商工会議所階上ホールで挙行された。これにさきだち、10時からクラブアッセンブリ-を開き、第60区ガバナー特別代表者伊藤豊次氏、スポンサークラブ釧路会長吉田利和氏、同理事両角克治、嵯峨旻、三原正二の各氏から、定款・細則その他についてご指導を受け、質疑応答を重ねて研究を遂げた。

定刻、発会式を開き、田辺正英君開式の辞を述べるとともに創立発起人代表として挨拶、ついで伊藤豊次氏の来訪ロータリアン紹介、ガバナー代理の挨拶、釧路吉田会長の挨拶、があって、仮議長に山田道雄君を選び、その司会のもとに議事に入り、定款・細則を満場一致で可決、さらに理事・役員を別項のように選任、北見RC会長滝野啓次氏の祝辞があって式を閉じ、祝宴に移った。かくして、ロータリーの歯車は、日本最北端の地に回転を開始したのである。

なお、網走ロータリークラブの例会日は、毎週火曜日、12:30~13:30、例会場は網走商工会議所、事務所も網走商工会議所内に置くことに決定した。

 

国際ロータリー加盟承認

網走ロータリークラブ発足とともに、待たれるのは、国際ロータリーへの加盟承認であったが、11月20日、スポンサークラブ釧路RCの嵯峨旻氏から、田辺幹事に宛てて次のような連絡があった。

拝啓 先日発会式の節は御迷惑をかけ有難う御座いました。13日東京帝国ホテルに於いて東京・同北・同南3クラブ主催で開かれた国際ロータリー会長ヨアキン・セラトサ・シビルス氏来日歓迎の第60区協議会席上に於いて宮脇ガバナーと会談、貴クラブ発会の報告を致しました。ガバナーも非常なお喜びで、早速、シカゴ本部へチャーター申請をする旨申されて居りました。唯、ガバナーは、第60区内58クラブを一々公式訪問をする任務があり、今般ガバナー事務所を札幌グランドホテルより東京私宅へ移されましたので伊藤ガバナー特別代表より未だ連絡がなく遅れて居りましたが、18日札幌例会席上、東京からの帰途出席し、伊藤氏とこの件についての書類送付方を依頼連絡いたしましたので、来月中旬頃までにはチャーターが来ることと存じますから、会長始め各位に宜しく御鳳声下さいませ。

ついで、12月19日、宮脇ガバナーから「14ヒチャーターサレタ オメデトウ」の祝電が寄せられた。すなわち、網走ロータリークラブは、1953年(昭和28年)12月14日付けをもって国際ロータリー本部の承認を受け、正式にその一員として登録されたのである。

さらに12月24日、国際ロータリー幹事ミーンズ氏から、次の書簡とともに、チャーターが送達された。

1953年12月24日

網走ローラリークラブ会長 阿川 二郎 殿

拝啓  国際ロータリーの会長セラトサ・シビルス氏およびその他の役員に代わり、私は網走ロータリークラブの会員各位に対し、この同送したチャーターを受けられることを衷心からお祝い申上げる。

 このチャーターは、ロータリークラブの財産である。そして、このチャーターは、貴下の後継者のクラブ会長に引継がねばならぬ。

 場合によっては、貴クラブは、このチャーターを額入りとして、他所のクラブがしているように、ロータリー会場に展示されてもよい。

国際ロータリー幹事  ジョージ・アル・ミーン

 

チャーターナイト

 晴のチャーター伝達式は、第60区ガバナー宮脇 冨氏を迎えて、昭和29年6月26日(土)すなわち、1953~54年度最終の第33回例会日を繰り上げ、桂ヶ岡会館(市労働会館)を式場として、厳粛かつ盛大に挙行された。

 この日に備えて、各会員はそれぞれの事務を分担、春から綿密周到な準備を進めれきたが、当日は宮脇ガバナーのほか、来賓としてクラブ創立に尽力を賜った第60区ガバナー特別代表伊藤 豊次氏、スポンサークラブ釧路会長吉田 利和氏をはじめ、吉田網走市長、田辺市議会議長、北海道知事代理尾谷網走支庁長、林商工会議所会頭が臨席、全国からのクラブ会員74名、地元会員28名、同夫人17名が参加、午後1時から田辺幹事司会のもとに進められた。

 まず、岡田副会長開会の辞を述べ、網走南ヶ丘高校音楽部員の奉仕により、国歌君が代およびロータリーソング「奉仕の理想」を斎唱、ついで阿川会長がガバナーを、轉石親睦委員長が来賓を、それぞれ紹介した後、宮脇ガバナーから阿川会長にチャーターを伝達、つづいてガバナーの告辞があり、これに対して阿川会長謝辞を述べ、吉田市長、尾谷知事代理、吉田釧路会長から祝福の言葉が述べられた。

 つづいて阿川会長からロータリー奨学基金として、10万800円を贈呈、また、宮脇ガバナーと釧路RCに感謝の記念品を贈呈、ロータリーソング「我等の生業」を斉唱して、午後2時、壮重な伝達式を終了した。

 ついで市内観光に移り、一同バスに分乗、郷土博物館~原生花園~日魯漁業缶詰工場~焼竹輪工場~天都山のコースで視察、午後6時から桂ヶ岡会館における披露宴に臨んだ。阿川会長開宴の挨拶、宮脇ガバナーの挨拶があって、郷土色豊な献立による祝宴に入り、余興として網走高等技芸学校生徒による郷土舞踊「網走小唄」“たちばな”提供による日本舞踊が華やかに展開され、一同歓を尽くして、ロータリーソング「奉仕の理想」を斉唱、ロータリー万歳を三唱して、午後8時、滞りなく予定のプログラムを終了した。

 翌27日から、参加者中の希望者を阿寒国立公園に案内した。Aコースは、網走~美幌峠~和琴半島~弟子屈~摩周湖~川湯で解散、Bコースは、Aコースにひきつづき、同夜川湯に一泊して、28日川湯~双湖台~阿寒湖~釧路で解散したが、両コースとも岡田、千村、塩森の観光委員が付添い、献身的サービスにつとめたので大いに喜ばれ、また、本州会員などは雄大な本道の自然美を讃嘆、多数の謝状が寄せられ、成功裡に終了した。

 なほ、チャーターナイト時に於ける会員数は次の28名で、創立当時より4名の増加となっていた。

 阿川 二郎・千村 三郎・遠藤 熊吉・林 幸夫・本間 義信・鎌田 定助・久保田 光治郎・鴻巣 雄三・

 轉石 格次郎・棟方 敏郎・内藤 輝・中野 虎之助・岡田 由太郎・小野寺 貞雄・酒井 儀一郎・

 佐々木 勇吉・佐藤 久・塩森 哲雄・新谷 泰造・高橋 孝三・高田 太郎・田辺 林蔵・田辺 正英・

 田村 直美・安田 善次郎・山田 道雄・鑓野目 行雄・吉村 博任・   以上28名

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